この春の家族の決断

このところ年に1回の更新となってしまっているこのブログですが、紆余曲折を経て、このブログには子どもたちへのプレゼントというかメッセージ的な役割を負わせたいなと考えています。

その上で一つ書いておきたいことがありましたので、一つ文章をしたためてみました。
書きたいことというのは、この春不妊治療クリニックに保管してもらっていた凍結受精卵を廃棄したということです。
これは不妊治療が失敗したというわけではありません。自慢の娘と自慢の息子(この表現は本人たちのいる前でも使っています)が二人生まれ、むしろ大成功だったと言えるでしょう。
父方も母方も三人兄弟だったので、できれば三人目も授かればというところだったのですが、氷河期世代最後の育児世帯である私たちは体力的に三人目を育てるのは限界でした。
一人目はトイレトレーニングもちゃんとできて、出かける度に子ども用の携帯便座(大人用の便器の上に載せて使う)を持ち歩くことも、毎晩毎晩子どもを説得して寝る前にトイレに行かせることも苦ではありませんでしたが、二人目にはその気力が湧いてきません。
このまま三人目を授かっても、一人一人を十分にケアすることはできないし、それならば今いる二人を立派な大人に育てることに集中しよう。そして家族を増やしていくことは、この子たちに委ねようと考えたのが、廃棄の理由です(さらに凍結卵の保管には結構なお金がかかるのです)。

今思うと氷河期世代って本当に恵まれていませんね。私たちですら最初の子どもが生まれたときは保育園に入れるかどうかギリギリ、入れてもとんでもない保育料がかかるという状況でした。二人目が生まれた頃から急激に公的支援が増え、金銭的には本当に楽になりました。
私たちはだいぶ遅い子どもだったので片足だけはこの支援の枠組みに間に合いましたが、多くの氷河期世代は何の支援も受けないまま子育てを続け、子育てを終えたのでしょう。そして実際には氷河期世代の多くが結婚することも子どもを持つこともなかったのだと思います。

思うに核家族というは本当に子どもを育てるのに向いていないと感じます。
正直子ども一人を育てるには大人二人が必要だと思います。なので核家族は自然と一人っ子に。
実家が近くにあって頻繁に助けに来てくれたり、保育園に預かってもらって常時プロの大人の保護を受けるというのでなければ、とてもじゃないですが二人目三人目は無理。
私たちは自治体のサービスもうまく活用することができましたが、みんながみんなそんなに都合良くいかないでしょうし、親の体力、子どもの特性によっても全然違う。体力オバケのお母さんを前提に話をされても、それはサステイナブルとは言えません。
といって大昔のように親戚が一つのところでギュッと集まって暮らすわけにもいきませんし、本当に難しいです。

この投稿はオチはなく、難しいと言ったまま終わります。また子どもたちの役に立つ範囲で、思いついたことを書いていきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です