2025年6月28日 | A Journal of Moments

「現在」に関する正確な情報を残しておかないといけないと思ったのは二つ理由があります。

一つ目は先日行われた東京都議選で参政党が議席を獲得したこと。参政党の主張自体あまり興味を持って調べたことはありませんが、伝え聞くところによると、陰謀論や反ワクチンの主張をもって支持者を集めているとのこと。
ただこういったことを主張している団体が選挙で躍進したことがきっかけではありません。この政党が支持者を増やすにつれ、過去の陰謀論関係のYouTune映像を消していっているという話を聞いたからです。
新しくこの政党に共感を覚えた人は、過去に同じ政党が行ってきたとんでもない主張を知ることなく、ますますその政党に傾倒していくかもしれません。

もう一つは2000年頃に個人のブログに書きためられていた情報が、当時そういった個人ブログを支えていたプロバイダのサービス終了にともないどんどん滅失していっているという話を聞いたからです。
これにより当時の世相などの正確な情報を知ることも難しくなっているとか。

この二つのことが示す問題は、過去の情報が失われるというだけではありません。過去が間違った情報によって上書きされる可能性もあるということなのです。
既に参政党は過去の映像を消すことでイメージの書き換えを図っていますし、2000年頃、まさに氷河期世代が初めて社会人になった頃のことさえ、個人の主義主張の濃い情報が公開されることで、その頃の実際の雰囲気が掴みにくくなっています。

もっと最近のことすら怪しいです。
私はもうコロナの頃に起こったことを忘れかけています。これを書いているのは2025年です。コロナ禍が発生したのは2020年。たった5年前のことです。
この文章を書きながら、当時ほとんど誰もいない遊歩道に犬の散歩に行ったとき、同じように犬の散歩をしている人数人とまとまりになったとき、ある年配の女性が「密ですよ」と言いながら我々のそばを通り過ぎていったことを思い出しました。
こんなこともあと5年もすれば完全に忘れ去っていたことでしょう。
けれど当時中学3年生、高校3年生だった子どもたちは、卒業旅行やインターハイといった重要イベントが中止になり、決して癒やせない悲しみを胸に刻みながら、今、大学生や社会人になっているのです。

そうしたことを忘れる前に、今まさに進行している、もしくは、まだ十分に思い出せる範囲の「現在」を、できる限り正確に、客観的に「日誌(Journal)」として記録してみようと考えました。