2025年6月30日 | A Journal of Moments

最近のニュースで教員のなり手不足と就職氷河期世代に対する支援を兼ねて、新卒当時教員になりたくても「狭き門」でなれなかった氷河期世代が、教員に転職することを支援していくというものがありました。

これを考えた人は「なんていいアイディア!」と思ったかもしれませんが、おそらく想定ほどはうまくいかないでしょう。けれどまったくダメというわけでもないかなとは思っています。

ダメだと思う理由として、当時は教員の待遇は相対的に良かったのですが、今は相対的に悪いということです。
教員は一定の残業代見合いの給与をあらかじめ支給されており、その見合いとしていくら働いても追加の残業代は貰えない仕組みとなっています。これは一部の一般企業で採用されている固定残業代制度と同じですね。

固定残業代制度というルールを、後世の人が見たら何が問題なのか分からないのではないでしょうか? 普通に考えると、一定の残業代見合いの残業時間が、例えば月20時間や30時間だったとして、その時間を超えた場合はあらためて追加の残業代が貰えると読めますよね? 正直言うと私もそう思います。

けれど実際には40時間働いても50時間働いても固定残業代は同じです。「労働者は戦わなかったのですか?」と訊かれても、「戦いませんでした」と答えるしかありません。
「お前が辞めても代わりはいるんだぞ!」と言われる時代が長かったので戦い方を忘れたのかもしれませんし、この労働力不足の世の中では、戦うより転職してしまった方が角も立たず待遇が良くなるので、そちらを選んでいるのではないかと思います。

教員も残業代が固定で労働時間はいくら伸ばしてもよいという運用になっています。
その結果、教員は朝は児童が登校する前(これは一般企業の始業開始時間より早いです)から学校に行き、保護者からのクレーム対応で授業の後の時間を潰され、昼休みも帰宅後も土日も働き続けるということになっています。
こんなにも仕事を自宅に持ち帰っているのになんで事故が起こっていないのか不思議ですが、あまりにも不憫なので移動中に小テストをなくしたくらいでは皆がかばってあげているのでしょうか?

一般企業も不景気のときはろくに残業代を請求できず、長時間労働を強いられるという時代が長く続きましたから、長時間労働でも元から残業代が貰える教員は悪くなたかったのです。公務員ですからクビの心配もありません。
しかしそのような状況にあぐらをかいているうちに、いつしか教員の待遇は一般企業に負けるようになっていました。だからこのような支援策を講じてもそこまで転職は促さないだろうと思います。
ただうまくいく可能性もあるなと思うのは、教員の仕事というのがある種麻薬のような魅力があるからです。それは子どもたちのカリスマになれるということです。

以前ほど教師に対する尊敬の度合いが減ったとはいえ、小中学生から見た担任の特別性は格別なので、一度その立場に立つ快感を覚えてしまうと後戻りできない可能性は大いにあります。
また、氷河期世代で現在勤めている会社での待遇があまりにもひどい場合、悪い悪いと言われている教員の待遇でも相対的に良く見えてしまうかもしれません。
これはやりがい搾取ではあるのですが、やりがいなき搾取を受けてきた氷河期世代に十分刺さり得ます。

また、例えば氷河期ど真ん中の45歳くらいの人がで教員に転職しても決して遅すぎるわけではなく、丁度社会人になってから今までと同じだけの時間が残されています。
「四十からの手習い」とも言いますし、この高齢化社会では成長の時間はたっぷり残されているとも言えます。

我が家ではこれから子どもたちが小学校に就学していくタイミングなので、少しでも教員不足が解消し、より良い人材が教員という職業に就いてほしいと考えています。
この支援策自体を手放しで褒めるわけではないのですが、どうせならプラスに働くことを祈っています。