2025年7月5日 | A Journal of Moments
ふと「ソ連」のことが頭に浮かびました。
いや、なんでソ連? 思い出しました。万博のことを考えていたからです。
この文章を書いている時点で、大阪で万博が開催されています。日本では万博は何度も開催されていますが、最も皆の記憶に留まり、かつ最大規模だったのは1970年に開催された大阪万博でしょう。
実は大阪ではもう一つ花博も開催されいるのですが、もうみんな忘れてしまっているかもしれません。
私自身は最初の大阪万博のときには生まれていませんが、そのときにはソ連館があったということは知っています。
小学生の頃、学習まんがで宇宙開発をテーマにした巻を読みました。そこでは子どもたちがアメリカ派とソ連派に分かれて、どちらが先に月に到達するか、人を月に送り込めるかで競い合いながら、宇宙開発の歴史を追いかけるというストーリーでした。
ソ連派ですよ! 子どもが!
私自身、今どきソ連を応援するなんてセンスがないなあと、子どもながらに感じた記憶があります。けれど当時はこの両国のポジションはおおむね互角といった感じで、戦争をテーマにしたコンピューター・シミュレーションゲームでも二大強国の扱いになっていました。良いときの日産がフルラインナップでトヨタと競り合っていた頃のイメージにも重なります。二番手がその後落ちていったのもそっくりです。
今、ウクライナはロシアに攻め込まれ、一部の国土は占領されながらも、予想以上に善戦し、前線では一進一退の攻防を続けていると聞きます。
正直言って、このシチュエーションでウクライナを支持しない選択肢はないはずです。ウクライナは最初から最後まで一貫して、「侵略を受けている国」なのですから。
しかしネット上では新露派と呼ばれる人たちが大量にいます。
これは本当に謎ですが、現実にはロシアから資金が流れて、ロシア側のプロパガンダを流している人もいるのではないかと思います。
ほかにも、盲目的に逆張りの方がかっこいいと思っている人もいるかもしれません。戦力的にはロシアの方が強いので、逆張りするならウクライナに付く方が自然な気もしますが、そういう人たちはウクライナ対ロシアではなく、アメリカを含む西欧列強対ロシアの視点で見るので、ロシアに付くのが逆張りになるのかもしれません。
けれどそうした反応のバックグラウンドとして、少年時代・青春時代にキラキラと輝いていたソ連像が、その人たちの心の中に今もまだ残っているのではないでしょうか?
ソ連って実は69年しか続いていないのです。時が経てば、歴史書では前後の政権に統合され、名前が消えてしまう可能性もあります。
けれどもソ連はそこまで大したことなかったことを認めてしまうと、多感な時期にかの国に憧憬を抱いた自分自身を否定することにもなりかねないので、どうしても支持を辞めることができなくなってしまっているのではという気もするのです。