【ハンナと先生 南の国へ行く】1. イントロダクション
For my daughter Hanae ("Hanna")
私の名前はハンナ。今年で10歳になります。決して大都会ではないけれど田舎でもない、中くらいの大きさの街に住んでいます。
この街には人はそれなりにたくさん住んでいましたが、ほかの街の人を惹きつけるような観光スポットもランドマークもありませんでした。つまりはごくごく普通の街だということです。
そんな普通の街に少し変わったお医者さんが住んでいます。いえ、「少し」ではなく「かなり」変わったお医者さんと言った方が正しいかもしれません。悪い意味ではありません。良い意味で変わっているのです。
そのお医者さんの名前はジョンといいます。私たちはいつもジョン先生と呼んでいました。お父さんとジョン先生は大学の同級生だったので、私は小さい頃からジョン先生のことを知っていました。お父さんとジョン先生は名字で呼び合っていましたが、これはかなり親しい友達同士でしかやらないそうです。
先生は街のお医者さんで、どんな病気でも診てくれます。なので近所の人は風邪をひくと必ず先生の病院に行きました。ただ動物が苦手な人は少し離れた別の病院に行きます。先生の病院は色んな動物が好き勝手に歩き回っていたからです。
イヌやネコといったポピュラーな動物だけでなく、ブタやタヌキといった普通は家の中で見ることのない動物もいました。鳥もいました。アヒルやオウムといった鳥たちです。
そんな動物たちが病院の廊下や待合室で思い思いに寛いでいたので、先生の病院はいつもたいへん賑やかでした。
天気の良い日には、庭に出てひなたぼっこをしている動物もいました。
今となっては、私は先生の病院に住む動物たちとはみんな仲良しです。私は頻繁に先生の病院を訪問し、動物たちとは顔馴染みになっていましたから。
ですがまず、私がジョン先生のことを、特別変わったお医者さんであることを知った日のことをお話ししたいと思います。
その日、私はいつもどおり学校に行き、授業を終えて家に帰ってきました。ところが、学校から帰ってくる途中、一軒の家の前でジョン先生が何かゴニョゴニョ話しているのが見えたので、どうしたんだろうとそちらの方へ近付いていきました。
「ジョン先生、こんにちは」
私は先生に挨拶をしました。先生はこちらに振り向いて、
「やあ、ハンナくん、もう学校は終わり?」
と挨拶を返してくれました。
「はい、今帰るところです」
先生は誰と話していたんだろうと、門柱の陰を覗き込んでみました。そこには誰の姿もありません。いたのは一匹のポメラニアンでした。
「そうか丁度良かった。ちょっとここにいて、誰か来たら教えてくれるかな」
そう言うと先生はポメラニアンに対して、ワンワンとかフッフとか言い始めました。ポメラニアンもクウーンクゥーンと言ったりハッハと言ったりして先生に答えました。
そのときは誰も通りかからなかったので、私はただその様子を眺めているだけでした。
しばらくして先生が言いました。
「これは大変だ、ハンナくん、救急車を呼ぶから近くまできたら誘導してあげてくれ」
そう言うと先生は救急電話をかけ、電話が終わると、ポメラニアンと一緒に家の中に入っていってしまいました。
私は「え!」と思いました。そしてすぐに心臓がドキドキし始めました。救急隊の人たちを案内するという仕事を、私一人に託されたからです。
救急車が見えたら、大きく手を振ってここですと言い、救急隊の人たちを家に誘導しなければなりません。救急車から見えやすいところに移動した方がいいだろうか、いやいやこの場所を離れたらかえって混乱させてしまうかもしれないと、短い時間の中で様々な考えが頭の中でグルグル回るのを感じました。
けどそれ以上に私は、先生があのポメラニアンと会話をしていたことに興奮していました。ええ、先生は確かに動物と喋っていました。おそらくこの家の中にはポメラニアンの飼い主がいるはずです。ところが先生は家の中に入ることなく救急車が必要なことが分かってしまいました。それはつまりポメラニアンから事情を聞いたとしか考えられません。
私は結局門柱の横で救急車が来るのを待つことにしました。すぐに救急車がやって来ました。救急隊の人たちは手を振る私の姿にすぐに気づいてくれました。家の中に担架が運び込まれ、しばらくするとおじいさんが一人、担架に乗せられて出てきました。その後ろで不安そうに眺めるポメラニアンと、それを優しく抱き抱える先生がいました。
おじいさんは家に一人でいるときに急病で倒れてしまったのです。窓が開いていたので飼い犬のポメラニアンが助けを呼ぼうと外に出たところ、偶然にもジョン先生が通りがかったのです。先生がすぐに救急車を呼ばなければ、おじいさんの命は危ないところでした。
救急車が行ってしまってから、私は先生に動物と話していたことを尋ねました。
「先生は、あのイヌと話していましたよね?」
先生はしばらく迷っている様子でしたが、やがて心を決めたように私の質問に答えました。
「みんなには内緒だよ。ハンナくんのお父さんにもね」
先生は、自分が動物語を話せることや、メティスという名前のオウムから動物語の手ほどきを受けたことを教えてくれました。メティスは覚えたことは決して忘れない希有なオウムです。なので人間の言葉をいくつも知っていました。初めは人間の言葉を使って先生と会話をしていたのですが、ひょんなことから動物語の存在を先生に教えたのです。先生は必死になってそれを勉強し、今ではほとんどの動物と会話ができるようになりました。
先生がおじいさんを助けた日以来、私は学校が終わると先生の病院に通うようになりました。動物が歩き回っていても誰も文句を言わない病院ですから、子どもが一人余分にいたって何の問題もありません。
私はすぐに動物たちと友だちになりました。その中でも特に仲良しだった動物を紹介したいと思います。
イヌのサクラ
サクラは女の子。大きさはマルチーズくらい。実際よくマルチーズと間違えられますが、実はミックス犬です。私はサクラは凄く美人だと思う。特に笑顔が最高に可愛い。本当に心の底から嬉しいと思っているのが分かる笑顔です。けどサクラはいたずらっ子な一面もあって、よく先生のお母さんに怒られていました。
タヌキのモモ
タヌキはこの国では珍しい動物です。先生は外国の友人から譲ってもらい、その国の言葉でモモと名付けました。モモは女の子です。
モモが先生の家に来たのは丁度サクラが来たのと同じくらいの時期でした。そして二匹は、まるで双子の姉妹のように育ちました。モモはおっとりしているけど、愛嬌があって可愛いタヌキです。
アヒルのアレクサンダー
この子は男の子。なぜか「アレックス」と縮めて呼ぶと怒ります。アレクサンダーはいつか空を飛ぶことを夢見ていました。だけど鴨に比べると体重が重いのでうまく飛ぶことができません。アレクサンダーは夢を叶えるために、いつも重りを背負ってウェイトトレーニングをしていました。けど先生のお母さんが美味しいご飯を作ってくれると、ついつい食べ過ぎてしまい、その度に後悔していました。
オウムのメティス
メティスのことは先ほど少し話しましたね。女の子、失礼、実は大先輩のオウムです。正確な年齢は分かりませんが、先生がメティスと話して確かめたところによると、少なくとも150歳以上でないと分からないことを知っていました。先生によると「もしメティスが知っていることを公表したら、世界中の歴史書を書き換えないといけなくなる」そうです。
ブタのイノセント
イノセントは男の子です。とても優しい性格で、ほかの動物たちからも愛されていました。けれどイノセントは、先生の病院に来る前は、仲間たちがハムになっていくのを目の前で見ていました。だからイノセントは命を助けてくれたジョン先生にとても感謝しています。
ネコのメル
メルはまだ子猫です。男の子。モモはメルのことが気になって気になってしょうがないようです。だけどメルの方ではそんなことお構いなしで、自分のペースで遊んでいます。眠くなったときだけメルはモモのところに行って、モモのお腹を枕にしてお昼寝をしました。モモは困った顔をしながらも幸せそうでした。
私は毎日のように先生の病院へ行って、動物語の勉強をしました。
先生の仕事が忙しくないときは先生本人から、それ以外の日はメティスから動物語を教わりました。
初めにサクラ、モモと話ができるようになりました。アレクサンダー、イノセント、メルの言葉も分かるようになりました。
メティスは私の飲み込みが早いことをとても喜んでくれました。そして満を持して、私に鳥語を教え始めました。