人形のへそ

休暇明けのマットがやつれていたのは、遊びすぎたためではなかった。
「やあ、マット。休暇中旅行でも行ってきたの?」
ぼくはオフィスですれ違ったマットに話しかけた。
「ケンか。いやいや、このご時世じせい旅行に行ったりなんかしないよ。家で家族とのんびり過ごしたよ」
しかしマットは目の下にクマを作っていた。
「きみがあんまりにもくたびれた様子だったから、旅行先でエマと遊びすぎたんじゃないかと思ってね」
エマというのはマットの娘の名前だ。ぼくとマットは古くからの友人で、マットが結婚した後も時々家に遊びに行っていた。奥さんのナンシーは気の置けない人だったし、ぼくは子どもが好きだ。
「確かにエマとは目一杯遊んだけど、それは寝不足の理由じゃないな」
マットはしばらくぼくの目を見ていた。
「そうか、やっぱり分かる? 実はちょっと困ったことになっててね」
マットがこんなにもはっきり「困った」と言うのは珍しい。
「どうしたの?」

マットによると、休暇中次のようなことが起こったらしい。
ナンシーは娘へのクリスマスプレゼントとして人形を作っていた。エマとお似合いの愛らしい雰囲気の人形だ。
エマはそれを貰ってとても嬉しそうにしていた。そして夜になると自分のベッドに持ち込んで一緒に寝ていた。
ところがある朝目覚めると、その人形がマットとナンシーの間にいたのだという。エマが持ってきたのだろうか? いや、エマはとても寝付きの良い子で、夜中に目を覚ますことは滅多にない。それにまだエマは一人でベッドから降りられない。
初めはマットかナンシーがうっかり持ってきたのか、エマがベッドに入る前に置いていったのだろうと結論づけた。
ところが、エマと人形が一緒に寝ていることをちゃんと確かめたのに、翌朝には人形がマットとナンシーの寝室にいるということが何度も続いた。
さすがに二人とも眠れなくなってしまった。人形が勝手に動いたとしか考えられなかったからだ。

「正直どうしたものか困っているんだ。ナンシーは捨てた方がいいのかなと言っている。けどかなり頑張って作ったものだし、エマも気に入っているからね」
マットはごく普通の現代的な人間だ。だからこそ、このような気味の悪い状況に、どう対処していいか分からない様子だった。
「ケン、よかったら今度見にきてくれないか?」
ぼくも自分のことは現代的な人間だと思っている。けど友人が困っているのを放っておくわけにはいかない。
「オーケー。力になれるかどうかは分からないけど、見させてもらうよ」

次の週末、ぼくはマットの家を訪問した。エマは2歳になっていた。赤ちゃんの頃から時々会っていたので、彼女はぼくを笑顔で迎えてくれた。
早速ぼくは人形を見せてもらった。
一目見て母親の愛情がこもった人形であることが分かる。とても丁寧にわれているし、毛糸を編み込んで作った髪の毛は、人間の子どもと同じように色々な髪形にすることができた。
人形の表情はとても優しい顔をしていた。娘のために母親が作ったものだったが、男の子とも女の子とも取れる、中性的な顔立ちをしていた。

人形それ自体だけでなく、着ている服も手が込んでいた。
「この服もナンシーが作ったの?」
「そうなんだ、よくできているだろ?」
「へー、本当だ。小さいのに細かいところまで普通の服と同じように仕上げられている」
ぼくはスナップボタンを外したり留めたりしながら言った。
「この人形はへそもあるんだぜ」
「へそ?」
ぼくは変な予感がした。
「服を脱がせてみてもいい?」
「もちろん。その服は人形には縫い付けられていないから、自由に脱ぎ着させることができるよ」
僕は人形の服を脱がせて、そのお腹を確かめた。確かにへそがある。刺繍糸を縫い込んで、へその膨らみを表現していた。
良くできている。けれどぼくは、どういうわけか不安を覚えた。
「マット、特に合理的な理由があるわけじゃない。けどこのへそはなんとなく取った方がいいような気がした。ナンシーに言ってもらえる?」
マットは初め困った顔をしていた。けど結局は、ぼくが言ったことをそのままナンシーに伝えることにしたようだ。
ナンシーはマットの話を聞くと、素直にハサミを取り出して人形のへそを切り取った。
「ごめん、ナンシー。ぼくの勘違いだったら申し訳ない。そのときはもう一度縫い付けてやって」

次の週の月曜、ぼくは朝一でマットのデスクに立ち寄った。
「マット、どうだった?」
「ありがとう、ケン。あれから二晩、人形はまったく動かない。エマと一緒に朝まで寝ていたよ」
「そうか、良かった!」
マットは不思議な顔をしてぼくを見た。
「けどよく分かったね。あれが原因だってこと」
「なんとなくさ、なんとなく」
ぼくは慌ててそう答えた。自分でもなんであのときそう思ったのか分からない。けどこのことは今回限りの話にしておいた方がいいような気がしたのだ。
マットもそれが分かったのか、この日以降人形の話をすることはなかった。

それからしばらくして、ナンシーが妊娠したという話を聞いた。マットはとても喜んでいた。
この頃からぼくのプライベートも少し慌ただしくなり、しばらくマットの家から足が遠のいた。
時は過ぎ、ナンシーは臨月を迎えた。生まれたのは男の子だった。マットとナンシーはその男の子をルークと名付けた。

ある日、ぼくは久々にマットとまとまった量の会話をすることができた。
「ナンシーとルークはその後元気?」
ぼくはマットに質問した。
「ああ、おかげさまで」
「一度会いに行きたいね。そう言えばエマともしばらく遊んでないし」
「エマはもうすぐ4歳だ。けど君のことは忘れてないよ」
ぼくは時の流れの早さにショックを受けた。
「そう言えばルークが言葉をしゃべりだしたんだ」
とマットが教えてくれた。ぼくは頭の中で月数をカウントした。
「えーと、ルークはまだ1歳になってないだろ? それは早いね」
「ああ、けど覚えた言葉が妙でさ」
「妙? どんなことを言うの?」
「ああ、ちょっとハッキリとは分からないんだけど、どうも『間違えた』と言っているように聞こえる」
「間違えた……」
「そう、言葉のチョイスもおかしいし、過去のことを言うように話すのが妙だなと思って」
ぼくは「あっ」と思った。「間違えた」というのは、間違えて人形の方に宿ってしまったということだろうか? だけどへそを取られてお母さんとの繋がりが断たれたので、あらためてお母さんのお腹の中に入り直したということかもしれない。
「確かにおかしいね。けどすぐにほかの言葉も覚えるさ」
ぼくは驚いた表情を見せないように気を付けながら、マットを励ました。

〜終わり〜

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